クラブマテの歴史と生い立ち



1924

ジョージ・ラタイヤー,は1889年よりバイエルン地方の街デーテンホーファーで小さな醸造所を経営していました。クラブマテの歴史は1924年のメッセ(展示会)で彼が“ゼクト・ブロンテ”に目を付ける時にまで遡ります。ゼクト・ブロンテは南アメリカ産マテ茶といくつかの素材を使ったノン・アルコール飲料でマテは原住民であるインディオによって何世紀も前にその価値を見出されたものです。ゼクト・ブロンテは発売当初、“健康に良く、スパークリングワインに似た刺激的でリッチな味わい”というキャッチコピーで宣伝され、さらには肝臓病や、肥満の解消にも役立つと考えられていました。ラタイヤーの会社はゼクト・ブロンテをデーテンホーファー周辺10km以内のみで販売していましたが、またたく間に地域全体に広がって成功を収めていきました。第二次世界大戦が勃発すると製造は中止に追い込まれましたが人々はゼクト・ブロンテを覚えていて、戦争が終わるとラタイヤー社はすぐに製造を再開することが出来ました。





1957

1957年、ラタイヤー社は投資家のザウワーハイマーを経営者として招きその後彼の情熱と資金によって工場を拡大。迅速な機械化を進め、販売地域も各地に広まり、会社は更なる成功を収めます。









1994

1994年、高齢を理由にザウワーハイマーはゼクト・ブロンテに関するすべてのライセンスをロッシャー醸造所に売り渡しました。ロッシャーは1881年に創業された小さな家族経営の地方の醸造所です。現在、ゼクト・ブロンテは新たなブランド・ネーム、“クラブマテ”として製造販売され 90年代後半にはベルリンのアンダーグラウンドシーン、クリエイターを中心に支持を獲得していきます。

そして、ベルリンでもっともアイコニックな飲料としての地位を獲得しました。

2010: ロンドンで発売開始。

2011: パリで発売開始。

2013: ニューヨークで発売開始。

2014: シンガポールで発売開始。

2015: イスタンブールで発売開始。
          モスクワで発売開始。


・世界50か国で発売!



2017

日本での販売を開始!